10/3/28(日) 「ど」酒器シリーズ第三弾

明石酒造の「明月 三升カメ」、 西原焼の窯元、新興陶房の「波動陶器」に続く第三弾

自分で絵付けをしたカップ。容量は300ml。

ロックにお湯割りに、毎晩フル参戦中!



10/1/4(月) 続・江戸の暮らし

「資源」というのは、需要を開発・拡大すると、高値で売れる。

「石油」を金にするために、「石油」を持っている国の人たちによって、「石油」を中心とする社会が作り上げられてきた。

「石油」が、限りある資源だと気づいた今、多くの人がこう言っている。

「一刻も早く、石油に変わるものを見つけなければなりません!」

しかし、「石油」という限りある資源をベースに、すべての生活を組み立てている、ということにこそ問題があるのではないでしょうか?

ビニールの手袋をはめた手の中で産声を上げ、ポリエステルの布にくるまれて保育器に入り、石油漬けの人生を歩み始める私たち。


「穀物」も、「穀物」をもてあましていた大国によって、「穀物」の需要を開発されてきた歴史がある。

パンや牛乳を学校給食に取り入れたのは、肉食を大衆化させてきたのは誰だったか。

豚肉1kgの生産には7kgの、牛肉1kgには11kgの「穀物」が必要だ。

大量生産の安価な「穀物」を自由貿易化したことによって衰退した我が国の農業。

機を見て高騰してきた「穀物」には、投機マネーも絡んでいる。

まんまとしてやられているのだ。


漁船もトラクターも石油頼み、漁網も肥料も石油製品。

石油自給率が0.3%、食糧自給率40%の我が国は、「食」という生命線を、外国に握られてしまっている。


「石油」というものに全く頼らないで生活をしていた江戸時代。
食糧自給率100%だった江戸時代。

私たちは好むと好まざるに関わらず、いずれそんな生活に戻らざるを得ないのかもしれません。


 

10/1/3(日) 江戸の暮らし

夜の東京                                  中富良野                               江戸


ミクロコスモスと呼ばれるものがある。

ガラスの容器に水と空気、小魚、水草、プランクトンなどの数種類の動植物を入れ、密閉する。
一旦密閉すると、外界からは光を照らすだけで物質の交換は一切ない世界ができる。

小魚は水草やプランクトンを食べ、排泄物はプランクトンのえさとなり、分解されて水草の栄養となる。
注意深く管理すれば、このミクロの生態系は、恐ろしくきわどい釣り合いの上で、命の営みを続けていくことができる。

いくらかサイズが大きくて生物の種類も多いけど、地球もミクロコスモスと同じように、地球外との物質の交換は一切ない、閉じた世界なんです。

我々のご先祖様、江戸時代の人たちは、日本列島という閉じた世界の中で、ミクロコスモス的な生き方をしていたようです。
その暮らしぶりを見てみると、この世界は閉じた世界であるという原理を、かなりはっきり意識していたとしか思えないんです。

たとえば、雑木林が毎年どれだけ成長するか知っているから、その限度を越えて伐採する事はない
自分の村の川や海なら、どれだけの魚をとっても減らないかということを知っているから、売れるからといって、獲りつくしたりはしない。

ところが、日本以外の多くの文明は、開いた系の世界観をもっており、
森林を伐採して燃料とし、その木材が枯渇すると森林のあるところへ移住し、
あるいは薪がなくなると石炭や石油に、それもなくなると原子力へと変えていく。
地下に眠っている資源がある目的に有用と判ると、掘り起こして利用し、そして不用になったら環境に放出してきた。

ミクロコスモスのような小さな世界では、無限に拡散してしまうことは不可能であることは誰もが理解できるが、
人というスケールから見ると、地球はなまじっか大きいので、拡散してしまえば無限に薄まると錯覚して暮らしてきた。

明治以降の日本は、欧米の文化、エネルギーをどんどん使うことによって得られる「豊かさ」に憧れ、お手本とし、必死になって後を追いかけてきた。

江戸の文化を捨てたその結果として、今のような「便利」な日本の生活がある。

しかし、これからの未来を生きる子孫のことを考える時、
これからの環境のことを考える時、
ミクロコスモス的な生き方をしてきた、江戸時代の日本人の生き方こそを、お手本にしなければいけないんじゃないでしょうか。


出典 「大江戸えねるぎー事情」 石川英輔(講談社 1990年)


09/9/14(月) Sense of Wonder

「お父さん 見てごらん 蜘蛛の巣に雫がついて 綺麗だよ!」

娘が教えてくれた



小さなユメ 大きな夢


昭和46年12月、サンケイ新聞に載ったワタクシの作文です。

48歳になった今、きれいな水や空気を供給してくれているのは、木の葉っぱだと気づきました。

そして今日も、樹を植えています。


樹を植えています

駐車場の車に子供を置いて、パチンコに熱中して死なせてしまう、というニュースを時々見かけます。
きっと放置した親は、そういうことをすると車内がどんどん熱くなって、子供の命を脅かす環境になってしまう、ということを知らなかったんでしょう。

アホな親やのぅ、と思うでしょうけど、私たちもまた同じ事をしているのかもしれません。

’07年2月、IPCCによる4次報告で、地球高温化(温暖化)が人為的なものである可能性は90%(ほぼ確実)と言われています。
我々のしてきたことが、次の世代に、逃げ場のない劣悪な環境をもたらすのだとしたら、「こんなことになるとは知らなかった」では済まされないでしょう。

水の問題、食糧の問題、エネルギーの問題、そして高温化。
どれもこれも、自分一人がどれだけがんばっても、どうにもならないほど大きな問題と思ってしまいます。

南米のアンデス地方に伝わる「ハチドリの一滴」という寓話があります。

 あるとき森が燃えていました

 森の生きものたちは われ先にと逃げていきました

 でもクリキンディという名のハチドリだけは いったりきたり

 口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます

 動物たちがそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」といって 笑います

 クリキンディはこう答えました

 「私は私にできることをしているの」

我々のしていることは、ハチドリの一滴かもしれません。
でも、自分の住む森が燃えているのを見て、何もしないわけにはいかないんです。

私たちの一滴が、やがて大きな一滴になることを信じて、環境教育プログラムで、まずみんなに現状を知ってもらい、そして今日も樹を植えています。


http://furano-shizenjuku.yosanet.com/index.html


若き日

こんな時期もあったんだよねぇ

07/1/12(金)
 
除雪されていない農道を歩く

 細雪が降るこんな日の雪面は、コントラストに乏しく、道と畑との境界があいまいだ

 いっそのこと目をつぶって歩いてみた

 それまで意識していなかった、ざくりざくりと雪を踏む感触が、初めて雪を踏んだ幼き日へと、脳みそを連れて行く

 道を踏み外しかけては立ち止まり、そこだけ目を開いて進路を修正する

 思えば我が人生も、このようなジグザグ歩行だったかもしれないなぁ


06/8/30(水)
超人


大水で、完全に流されてしまった堰

修復には重機が不可欠と思われた

途方に暮れていたら、この人が
チェーンブロックとテコを使って
たった一人でやっつけてしまった

ただでさえメチャクチャ重たいこの大木を
もの凄い水圧の流れに対して、垂直に設置してある

力のある若いスタッフと、二人がかりでやっとこさ運んだ鉄骨も
取水パイプにしっかりと固定されていた


もう一度言おう

とっくに還暦を過ぎた、このオッサンが

たった一人でやっつけてしまった


ZABADAK Concert in 富良野

御来場くださった皆さん ありがとうございました


初めてZABADAKに出会ったのは、もう20年近く前の事だ。
何気なく見ていたTVのCMソングに心を奪われた。

Music by ZABADAK

聞いた事のない名前だ。

早速CDショップに行ったが、在庫が無かったので、取り寄せ注文をした。
「Welcome to ZABADAK」
取り寄せてまで買ったCDは、後にも先にもこれだけだ。

そしてたちまちZABADAK Worldに引き込まれていった。
日本にも、こんな音楽を作れる人がいたんだ!
Musicianをめざしていた僕は、少なからず衝撃を受けた。

その3年後、僕もProとして音楽の世界の片隅に身を置く事になった。

当時大阪で担当していた、FMの音楽番組。
KARAKの小峰さんという女性が、月1ゲストで東京から来ていて、親しく話すようになった。

KARAKの音楽を聴いて、この人ならZABADAKの世界をわかってもらえるだろうと思い、聞いてみた。
「ZABADAKって知ってます?」
「ええ、知ってます」との答えにヨロコビ、いかにファンであるかを話した。

何ヶ月か経ったある日、話が
「ZABADAKのあのアルバム、音楽はステキなのだが、ジャケット写真はいかがなものか」
というような内容に及んだ時、ついにたまりかねたのであろう、小峰さんが言った。
「実は、彼は私の夫です」

そしてさらに何ヶ月かが経ち、僕は東京で暮らし始めた。
そのマンションに、小峰さんと一緒に吉良さんがやってきた日の事は忘れられない。

憧れのMusicianが、目の前で、僕のギターを弾いて、僕の大好きな曲を歌っている。
何曲も何曲も。

それから何度、僕の部屋で、吉良さんのうちで、飲んで、弾いて、歌った事だろう。

その後のZABADAKのアルバムの何枚かには、僕のフレットレスベースが使われている。

さらに10年が経ち、2006年 8月18日

今僕が暮らす富良野に、ZABADAKがやってきた。


06/6/6(火)
リペア

今から20数年前、MiamiのBanana Republicで購入したバッグ
 20年前の、ヨーロッパ旅行にもおともしたバッグ
2泊3日ぐらいなら、これ一つで事足りるバッグ
肩ひもがぼろぼろになったんで、タンスの肥やしになっていたバッグ

ミシンの踏めるアウトドアガイド「一針」の福田君がリペアしてくれた

持って帰って、革の部分に専用クリームをすりこんだら、すっかり綺麗になった

いいものは少し高いけど、こうしていつまでも使えるのだ


06/5/21(日)

この小さな沢には、アメマスが住んでいます。

本当に綺麗な水にしか住まないと言われる、カジカも住んでいます。

ありがとう、そしてさようなら。


06/5/20(土)                粕取り焼酎
 増毛にある、お気に入りの酒蔵「国稀酒造」から、粕取り焼酎が出ているのを、ワタクシの知っている限り、富良野で唯一「国稀」を取り扱っている「北の峰セブンイレブン」にて発見した。
 
 粕取り焼酎とはナニカ?

 酒飲みは調べてみるとヨイ。

 必ずや手に入れたくなるであろう。

 んまいよ。



























06/4/21(金)

老化 U

初めて遠近両用のメガネを買った


もともと右耳は聞こえないのだが 最近左もヤバくなってきた

ツアー送迎の際 後部座席のお客さんとの会話がままならぬ

仕方がないので、補聴器も買った



カッ カッ カミノケが・・・・・


次はどこだ・・・・・?


06/2/28(火) 毎日新聞夕刊

うちのばあさんは 野球選手だったらしい
(クリックすると拡大します)


ZABADAKの吉良さんのサイトに刺激されて 七五調

子を持ちて 初めて知った 親の愛 父母の思いが 届く 心に

ニュースにて 全く知らない おさなごの 訃報に涙することしばし

仲の良い 熟年夫婦のドキュメント 鼻の奥が ツンとしてくる

「やりたいなぁ」 「やれればええなぁ」 その思い 一番上に もってきました

「うらやましい」 言うてる前に やりなはれ それがあなたの ライフスタイル

「ええやんか」 「あかんがな」って言う人の 境界線は 誰が決めるの?


三代目

酒屋に勤めている友人から、五升甕をいただきました

でかいっ!

実際焼酎を入れてみたら・・・・・ 七升は入りまっせ、これ


かっこええオッサン

山の楽しさと危険を知ってるオッサン
どこにどんなキノコがあるのか知ってるオッサン
自分で家を建ててしまうオッサン
仕事でなくユンボを操れるオッサン
結構スゴい事をしているのに、その自覚のないオッサン

ここらには、そんなオッサン達が
てんこ盛りにおる

ソンナオッサンニ ワタシハナリタイ


05/9/22(木)

老化

ここ何年か、冬になると肩こりが激しく、冬の間ずっと痛い
指もしびれる

針・マッサージ・カイロプラクティック
いろいろ行ったけど、どれもイマイチ

ペインクリニックへ行ってみた

首のレントゲンを撮った結果、頸椎にある神経の通る穴が狭くなっているとの事

「老化です」と言われた

悪い病気ではないのでほっとしたが、反面ちょっとショックやった

病気ではないが、病気と違うんで治るあてがない

星状神経節ブロックという治療をした
首に注射をするのだ


「老化」かぁ


愚かなる人々よ

あなたがたは、我々の血税を使い
何故に我々の望まぬ「破壊」を繰り返すのか

 我々の愛した川は
大きな排水溝となり果てた

 生きとし生ける物を育んだ森は

その保水力をもって
天然のダムとなり
河原の土砂をしっかりと掴んで
その崩壊を防いでいた森は

コンクリートのブロックに すっかり覆われてしまった
 

これらが 工事のための工事ならば
雇用促進のために必要というならば
次の選挙の票集めのために必要な公共事業というならば

すでに破壊されてしまった

川を

森を

再生するために
その資金を使えないのか


波動酒壷

我家には、名前入りの焼酎サーバーが2つあります

左は、西原焼の窯元、新興陶房の「波動陶器
右は、明石酒造の「明月 三升カメ」

こんなんで毎晩、やっとります


白樺の最期


白樺の寿命は、日本人とほぼ同じ
こんな巨大な白樺には、めったにお目にかかれない



04/9/8 台風18号
残った枝は生きているように見えたが


あかんかったか


ぽっかりと空が開けた


努力しません

 私は努力しません。
 頑張りません。
 明日できる事は今日しません。

 怪我をすると痛い、病気をするとつらい。どちらも苦痛である。
 それは、血が出ていたり、体が病に犯されているのに、妙に気持ちよかったりして放置していると、自滅につながってしまうからだろう。

 よって人は、苦痛をもたらす要因を排除しつつ生きていかねばならぬと思うのだ。

 そして努力したり頑張ったりする事は、私にとって苦痛なのだ。

 以上のような完璧な理論、もしくは屁理屈によって、私は努力なぞしてはならぬ事と認識している者、もしくは単なる怠け者である。

 ミュージシャンになりたくて、1日に10時間もベースを弾いていたり、
ガイドになりたくて、フィールドに入り、本を読み、資格をとるのに、休日の全てを使っていたりするのは、
それが楽しくて楽しくて仕方がないからだ。

 それを努力とは言わんだろう、と思う。

 何かを成し遂げる為に、苦痛を伴う努力や頑張りが必要なら、
それは本当に自分がやりたいことではないのだな、と私は考える。


おやじのこと

 玄関先からファンキーな音楽が聞こえる。
 上田正樹&South to Southや!
 玄関を開けると、その曲にノッてステテコ姿のオッサンが、踊りながらオルガンを弾いている。

 我家は、そんなうちでした。

 同居していた叔母さんが、幼稚園の先生をしていたので、うちにはオルガンがありました。
 ごく平均的な一戸建てに、10人もの家族が暮らしていたうちには、オルガンを置くスペースなど、もう玄関先ぐらいしか残っていなかったのです。

 おやじは酔っぱらってゴキゲンになると、よくオルガンを弾いていました。
 特に誰に教わったわけでもなく、自己流なので弾き方はむちゃくちゃでしたが、とりあえずやってみようという姿勢、
そしてそれを楽しんでいるということは、ひしひしと伝わります。

 同じノリでギターも弾き、まだ世間では全く普及していなかった電卓(それ以前は手回しの計算機を使っていた。知ってる人いるかなぁ?)、ワープロ、
そしてパソコン、インターネットにも、いち早く取り組んでいました。

 さらに、’99年の夏には、何と68歳にしてスカイダイビングに挑戦しました。

 何でしょうかこの人は。
 単なる新しいモン好きでしょうか?

 大学にまで行かした長男(ワタクシのことです)が、「就職はしません。アルバイトで金を貯めて留学する」と言いだした時も、
海外生活からやっと帰ってきたその長男が、「俺はミュージシャンになる」と言いだした時も、
「何をするにしても、おまえはおまえの道を行けばよい」と見守ってくれました。

 昭和6年生まれにして、こんなに物分りの良いおやじはなかなかいないと思う。
 相当に柔軟な頭の持ち主だったのだ。

 子供の頃は、よくビー玉やトランプなどのゲームをして遊びましたが、おやじはいつも本気の人だったのを覚えています。
 子供相手といって手加減はしないのです。
 ムキになって、必ず自分が勝ちます。
 それはおやじと遊んでいるというよりも、近所のガキ大将と遊んでいるようでした。

 それはおやじの哲学だったのでしょうか、それとも単なる性格だったのでしょうか。


清流



風呂場では界面活性剤や香料の入っていない石鹸しか使わないので
僕の髪は全然しなやかじゃない

洗濯も石鹸しか使わないから
僕のTシャツは少しくすんだ色をしている

下水道が来ていない我家のために合併浄化槽を設置したので
僕の車は誰かのお下がりだ

洗剤を使わなくても
少し熱い目のお湯とアクリル毛糸のタワシで食器は綺麗になるのに

油汚れでもない 水で落ちるようなちょっとした汚れでさえ
合成洗剤で泡立てないと気がすまないの?

漂白剤と柔軟剤でぴかぴかでふわふわの
Tシャツを着るの?

シャンプーやリンスやトリートメントやボディーシャンプーを持って
天然温泉に行くの?


この川の水は飲めます

今のところは・・・・

飲んでみたい?
子供にも飲ませたい?
孫には?

こんなんどう?


夏の日


 今日は仕事が早く終わったので 買い物を済ませて帰宅したのは午後4時だった

緯度が高いせいで日照時間の長い夏の富良野の午後4時は
まだまだやる気にあふれた日差しが
これでもかとばかりに地面を焼いていた

 そのうちやらねば と気になっていた愛車「デリカ」のメンテナンスを済ませ
午後いっぱいを費やした「ビールをうまく飲むぞ倍加作戦」の限界ギリギリで
缶ビールと一冊の本を片手に 南向きの玄関先に座り込んだ

 「まにあった〜!」

 何がどう間に合ったのかはわからないが とにかくそんな気分で
食道から胃にかけて幸福感がなだれ込む

 やがてほどなく我が単純脳みそのスイッチが
「カッチン」と音を立てて本の中の旅世界に同化する
 単純脳みそは まだ見ぬ遠い世界にいともたやすく飛び去る

 ふと現実世界に立ち戻って見上げると 八幡丘の波状丘陵の上に
「夏でっせ〜雲」がてんこもりになって空の広さを主張している

 空の青さとのあまりのコントラストに現実感が薄くなり
本の中のどこかの旅の空の下に
自分も風景の一部となってはまり込む

 草の陰で犬の「どんべえ」もまどろんでいる
 犬も空想の世界で遊ぶ事があるのだろうか?

 やがて傾きかけた陽が

あくびをする「どんべえ」が

仄かな酔いが

風のささやきが

ここに住むことの意味を教えてくれる

 


08 お正月 in 大阪  08.11 清里ミーティング


09.2 OSAKA DAYS


11 NENGAJO


2012.3.3-4 Peach Aviation