ワタクシがど〜やんです
大阪生まれの大阪育ち
血液型はB
かつては夜の繁華街にどっぷり漬かっていたのですが
いつからか都会の生活に順応できなくなり
中富良野に移住しました
移住のなりゆき
東京は世田谷、千歳烏山に住んでいた1997年の事です。
このころ、渓流釣りやキャンプや登山に親しみ、自然の中で多くの時間を費やしていた私としましては、人と車があふれる都会にはもはや住めないと思い、「田舎暮らし」を具現化する方法を模索していました。
最初は離島暮らしを考えており、過疎化が進み人材の欲しい離島と、私のような考えをもつIターンUターン組の間を取り持つ「日本離島振興会」の会員となって、「シマダス」などという本も手に入れ、情報を集めていました。
その頃、離島で暮らすのであればいずれ必要になろうかと思い、海技免状(4級小型船舶)も取得しました。
しかし問題はやはり住居と仕事。
「田舎暮らしの本」などを見ても、ターゲットはある程度の資力がある人のようで、私のような貧乏人には、あまり参考になりませんでした。(巻末の物件情報、高すぎますよねぇ?)
そんな時に知り合ったのが、今の会社の所長。千葉の「夢牧場」という観光牧場のイベントで、熱気球をあげに来ていたときに出会いました。
年も同じだし、意気投合し酒を飲むうちに田舎暮らしの話になり、(この所長も徳島出身で、現在中富良野在住)「それならうちに来れば仕事もあるし、住む所(寮)もあるよ」という事になり、しかもその仕事の内容というのが、釣りに登山にカヌーのインストラクターとアウトドア三昧、まさに趣味と実益と田舎暮らしとが三つ巴となった、渡りに豪華客船状態だったわけです。もちろんその話にのり、今に至るっちゅうわけですわ。
その年の8月25日には、中富良野に家も購入しました。
富良野の市街地から車で10分、土地200坪、購入当時かなりぼろかったけど母屋45坪、今でもかなりぼろいけど納屋30坪。
三方が田圃畑に囲まれていて視界をさえぎるものがなにも無いので、十勝連峰が一望できる。
離農農家の家を買ったので、周りは農家さんばかりで旬の野菜もらいまくり。
こんな好条件でなんと、土地家ひっくるめて40万円でした。
職歴
バーテン シカゴのジャパニーズレストラン「銀座」ウエイティングバーにて
ベーシスト 「小林万里子Band」「Yoko&VooDoo(Vo.野毛洋子・Pf.有吉須美人)」etc.を経て、
アルバム「水の上のPedestrian」LANPA(Vo.八千代)でテイチクよりデビュー
フリーライター 「週休二日遊ぼマガジン」「ツーリングガイド」「アルバイトニュースanコラム」etc.
DJ 「NHK−FMリクエストアワー」メインパーソナリティー
ラジオふらの「広い空の下から」
花屋 葬儀担当 告別式・お通夜と毎日2体ずつ「仏様」と対面する事2年
登山ガイド 上高地〜涸沢〜奥穂高岳etc.
トラックドライバー その他の仕事の合い間を埋めるように
富良野移住後
アウトドアガイド 「アルパイン計画」で釣り、トレッキング、熱気球パイロットetc.を担当
現在 環境教育インストラクター 「富良野自然塾」にて
免許
陸 大型二種免許 普通二輪免許
海 海技免状 四級小型船舶
空 熱気球指導操縦士(インストラクター)
資格
北海道アウトドア資格制度「自然ガイド」
自然体験活動推進協議会(CONE)自然体験活動リーダー
ネイチャーゲームリーダー
日本野鳥の会 バードウォッチング案内人
レスキュー3(急流救急法)レベル1
MFAプロバイダー
食品衛生責任者
運行管理者(一般貸切旅客)